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現在の風景

廃止から年月が経ち、スタンドやコースは解体され、跡地には製薬会社が建ちました。しかし、現在もかつての趣を感じることができます。

建物の周辺の道はかつてのコースに沿うように、緩やかなカーブを描いています。位置関係としては、製薬会社敷地の柵(写真左)が外ラチ、道路がコースとスタンドの間の観覧スペース、歩道側の黒柵(写真右)あたりからスタンド。なぜこのような形状になっているかというと、コース側を先に更地にして、それからスタンドを取り壊したからです。 ※解体費用は製薬会社持ちだったという市の懐事情

駐車場から競馬場の入り口へ向かう坂道だった場所には、今でも変わらず桜の木が植えられています。写真左側の塀の先には、かつてスタンドとパドックがありました(2022年4月撮影)

製薬会社のすぐ脇には、本馬場内にあった慰霊碑及び馬頭塔が移設されています。建立記念碑には「歴史を後世に残すため、逝去された調教師・騎手・厩務員の御霊に対し心から哀悼の誠を捧げるとともに、競走馬の御霊を永代に鎮魂し、深く感謝の意を表し建立する」と記されています。

以前厩舎があった場所には、場外馬券場「ニュートラックかみのやま」が作られ、現在も稼働しています。発売は南関4場(大井、船橋、川崎、浦和)と岩手(盛岡、水沢)で、ナイター等にも対応しています。利用客は元気な高齢者(オールドファン)がほとんどで、時には溜息や怒号が飛び交うなど、競馬場らしい雰囲気を味わえる場所です。

施設内には、かみのやま競馬末期に現れた名牝ジーナフォンテンの子・カジノフォンテンの写真が飾られています。2021年に川崎記念を制した際に川崎競馬場から送られたもので、ジーナフォンテンの紹介も添えられています。時を超え、大輪咲かす血のドラマ…競馬を見ていて一番震える瞬間です。

Now

グッズ等

グッズ等とともに当時の思い出を振り返るコーナーです。

【記念フォトフレーム】
第6回さくらんぼ記念優勝、ストロングブラッド号と武豊騎手。​最後の覇者は伝説の人馬​(H.K様寄贈)

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【かみのやま競馬雑誌】
厩舎レポートやロングインタビュー等読み応えたっぷり(上山市立図書館所蔵)

【馬券】
記念すべき第一回さくらんぼ記念の馬券。今ではお目にかかれない特殊な形式です。(H.K様寄贈)

【コース写真】
第1回さくらんぼ記念の直線
優勝は宇都宮のブライアンズロマン号と内田利雄騎手

【パドックの様子】
遠景に蔵王山を望む素晴らしいロケーション。写真はヘイセイイーグル号と渡辺一道騎手(H.K様寄贈)

【開催日程カード】
雪が降る前までの開催。合間に岩手や新潟、南関場外を売っていたようです。

Items

​思い出話

当時のかみのやま競馬にまつわる体験談、逸話?などを掲載していきます。

ファンファーレが聞こえる町

当時、かみのやま競馬場の近所に住んでいました。のどかな田舎町なので騒音など皆無。風に乗ってファンファーレや実況が聞こえることもしばしば。特に雨雲が近づく日なんかは聞こえが良かった気がします(そんな歌がありましたね)。興味のある方はこちらで聞いてみてください→地方競馬・ファンファーレメモリアル - YouTube

ツインターボ 移籍後の逸話

玉砕スタイルの大逃げで人気を博したツインターボ。1995年、かみのやま競馬への移籍は大きな話題になりました。移籍初戦はA2クラスを1番人気で快勝。しかし、この頃からかなり気性が荒くなっており、発走前にゲートをこじ開け発馬してしまった…なんてこともありました(1995/11/26、カンパイで除外)その後は勝つことはできませんでしたが、アイドルホースの移籍は多大な影響と功績を残してくれました。現代でもウマ娘経由でかみのやま競馬を知り、巡礼くださるファンもいるようですね!ツインターボ、かみのやまに来てくれてありがとう!

福島競馬場開場100周年記念馬券

​裏面には特別仕様プリント

​記憶に残る名馬でした

ビッグショウリ号との出会い

インターネットが発達しておらず情報も少ない時代、サラブレや週刊Gallop、そしてサラブレッドカード(GALLERY参照)に書かれた情報を何度も何度も読みながら、憧れや想像を膨らませていました。そんな折、上山競馬場の厩舎を見学させていただく機会を得て、偶然出会ったのがビッグショウリ号でした。

穏やかな表情で馬房に佇む栗毛の彼、重賞を勝っていてゲームにも出てくる馬…自分にとってはまるでヒーローのような感覚でした。かみのやま競馬ではおよそ2年2か月ぶりの勝利を挙げ、その後移籍した高崎競馬でも2勝しています。芝・ダート・中央地方問わず生涯52戦、活躍し続けた姿には感服の一言です。そして大種牡馬ノーザンテーストの血の偉大さを感じざるを得ません。
 

サラブレッドカード(BANDAI 、1996)

and more…

Folkrole
Genome

受け継がれる遺伝子

かみのやま競馬関係者のその後の活躍を掲載していきます。

小國 和紀 氏

かみのやま競馬末期に調教師デビュー。厩務員時代は川崎記念、かしわ記念優勝馬のカジノフォンテンの母・ジーナフォンテンを担当。北海道新ひだか町に㈱小国スティーブルを開業され、これまでサクセスブロッケン、ラブミーチャン、コパノリッキー等数多くのGIウィナーの育成を手掛けられています。

五十嵐 恭平 氏

かみのやま競馬末期に騎手デビュー。上記「小国スティーブル」にて開業から騎乗スタッフとして活躍されています。

関本 淳 氏

1982年かみのやま競馬にて騎手デビュー。主力騎手として活躍し、同じく騎手で弟の関本 秀幸 氏(かみのやま→浦和、引退)とともに「関本兄弟」としてファンに親しまれました。2004年からは岩手・水沢に移籍し、2017年に通算2000勝達成。今も現役で活躍されています。

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板垣 吉則 氏

1990年かみのやま競馬にて騎手デビュー。00年、01年リーディングジョッキー。2004年からは岩手・水沢へ移籍し騎手として、2007年からは調教師として大活躍されています。特に調教師としては6度のリーディングに輝き、近年でも短距離重賞で活躍するキラットダイヤ、岩手クラシック2冠のグッドクレンジングを管理する等、充実一途です。

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秋元 耕成 氏

1999年島根県益田競馬で騎手デビュー。益田競馬の廃止に伴い、2002年かみのやま競馬へ移籍。かみのやま競馬でのニックネームは「ドーベルマン秋元」。2003年からは浦和競馬に移籍し現役で活躍中です。2022地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップへ出場されました。

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佐藤 茂 氏

1995年かみのやま競馬にて厩舎開業。主な管理馬はエアインハート、ペルターブレーブ(アラブ)、セイカシミズダニ等。2004年より金沢競馬へ移籍され現役で活躍中です。最近の管理馬はエムティアンジェ等。地方競馬での勝利数は通算1800勝以上。かみのやま競馬時代にはとてもお世話になった方です。

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吉田 晃浩 氏

2000年かみのやま競馬にて騎手デビュー。上述の佐藤 茂厩舎所属。かみのやま時代のニックネームは「赤い狼吉田」。2003年からは浦和競馬へ移籍も騎乗回数が低迷し、2005年には一度騎手免許を返上。その後、佐藤 茂調教師が移籍した金沢競馬へと渡り、厩務員を経て2007年に騎手免許を再取得されました。2012年・2013年シーズンはリーディング獲得、2015年の落馬大怪我を乗り越え、2021年には地方競馬1200勝を達成され現在も現役で活躍中です。

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小国 博行 氏

1984年かみのやま競馬にて騎手デビュー。かみのやま競馬のトップジョッキーとして6度のリーディングと9度のNRA優秀騎手賞に輝きました。2003年からは門別へ移籍。2013年までは騎手として、2015年からは調教師として活躍されています。

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